学問の神様菅原道真公に深く関係する天満宮です。 延喜元年1月25日、左大臣藤原時平の策略により、醍醐天皇の信任篤かった右大臣菅原道真が謀反人として太宰府権師に左遷され、同年2月1日京の都を立たれ大阪から海路、瀬戸内海を経て早鞆瀬戸(門司)、響灘(若松芦屋)-鐘ヶ崎(宗像)-志賀島-荒津(博多)と進み、上陸して太宰府到着という航路になるはずでしたが、津屋崎沖の嵐で航行不可能となり転覆しそうになったので梅津浦の漁師が助けたそうです。その後、梅津浦の漁師たちはその神徳を仰ぎ天満宮を勧請したそうです。
からだの素 No.74より
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